興奮百科事典 NEO!! : モリニュー問題の解決、再訪
モリニュー問題の解決!!という、2011年4月11日の記事を書いた後、モヤモヤしつづけています。
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もし生得的な観念があるならば、すなわち、物を見たり聞いたりする以前に、だから生まれた時にすでに有しているような観念があるならば、それは個別の知覚モジュール(おおまかにいって、五感のこと)に条件づけられたものではありえません。そして、もしモリニュー問題に否定的な答えが与えられるならば、一般に観念は経験的にしか獲得されないことになります。(以下で書くのは、この一文がきわめて怪しいということです。)
で、実際に、先天的盲目状態から目が見えるようになった被験者を使って、心理学的な実験を行った結果、モリニュー問題に否定的な答が与えられたのです。
ここまでが、前回のまとめです。
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とはいえ、生得観念を認める立場はどういうものかといって、それが上の主張に尽きるわけではないのです。むしろこの立場を捉えたものとしてはまったくその本質をとらえていないと言わなければいけません。
たとえばライプニッツは生得観念を認めるのですが、観念と表象(さしあたり、知覚イメージのこと)が本質的な関係を持たないと主張しました。つまり、ライプニッツは、観念を所有しているかどうかについてモリニュー問題ではテストできないと考えたのです。だから、彼はモリニュー問題を問題として認めないはずです。
(そのかわり、彼は文脈原理に近いもの、あるいはsalva veritate(真理保存的置換の原理)というものを考えていました。)
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もっと言えば、モリニュー問題は経験論的なバイアスがかかった生得観念説の定式化を前提としており、その定式化を認める限りでのみ有効な問題なのです。
先の認知心理学的な実験は生得観念説 vs 経験論の対立について何を示唆できたことになるかというと、きわめて否定的なことしか言えないと思います。哲学史的にみると、実はこの歴史的対立にたいしてあの実験は何も議論を前進させる貢献をしなかったことになります。というのもモリニュー問題そのものには、ごく限定された有効性しかないからです。(別の問題には有効な貢献ができても、この歴史的対立には貢献しない。) というのも、そもそもモリニューは ignoratio elenchi(論点取り違えの誤謬)を犯していたからです。
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